2013年12月24日火曜日

白浜町幼保一元化の取り組み ~白浜幼児園の視察から~

加藤俊介 

 和歌山県白浜町にある白浜幼児園を訪ねました。「幼児園」というのは制度上の名称ではありません。平成18年に「認定子ども園」制度が設立される以前から、白浜町は幼保一元化の必要性を認識し、白浜保育園と白浜第一幼稚園を統合し一体的な運営(幼児園)を開始しています。この幼保一元化の取り組みは、平成16年、小泉政権下における構造改革特区の認定を受け、制度上も認められるところとなりました。
このように、全国に先駆けて幼保一元化に取り組んだ白浜町には、幼保一元化への移行を検討する多くの人々が視察に訪れるようで、説明に工夫がされていたり、視察者向けの資料が整備されていたりと、取組みの「発信」にも力が入れられています。私は、第3回レポート「新宮市の特異な幼保関係について(2)」で次のようなことを書きました。 まさに、白浜町は先進的な取組みを成し遂げ、それを他地域にアピールしているモデルのように感じました。以下では、白浜町が幼保一元化に移行したきっかけや、成功要因など、訪問で得た内容を記します。

1.幼稚園を守るための幼保一元化

 幼保一元化を進める際に障害となるものの一つに、幼稚園の抵抗があります。現在、多くの地域では保育園が不足する一方で、幼稚園が余って(定員を大きく割って)います。その解決手段として幼保一元化をするとなると、幼稚園が保育園に吸収され、消滅してしまうように受け取られます。しかし、白浜町における幼保一元化の歩みを振り返ると、それはむしろ幼稚園を守るためのものであったことが理解できます。
 上のグラフは白浜町の児童(18歳未満)数の推移です。昭和50年の7,538人をピークに、以降は減少が続き、平成17年には3,609人となっています。驚くことに30年の間に、児童数が半減してしまったのです。この児童数の減少に加えて、共働き家庭の増加が顕著となったため、従来、「4歳までは保育所、5歳になれば幼稚園」という棲み分けを行っていたところを、昭和59年からは保育所でも5歳児の受け入れを開始することになりました。このことによって、幼稚園児数が激減し、1 園を休園、白浜地域(観光地域)と富田地域(農村地域)に各1 園の2園(共に公立)のみを存続することとなりました[1]
幼稚園の整理を行った後も、長時間の保育を希望する声が次第に高まり、白浜地域(観光地域)に立地する白浜第一幼稚園では、昭和56年度の102名の園児数が10年後の平成3年度には27名と激減し、集団規模が小さくなって活動の幅が狭まる等園運営に支障が見られるようになったとのことです。
 この流れは新宮市の幼保環境にも似た点があると思います。児童数の減少は全国的な共通点ですが、それに加えて「4歳までは保育所、5歳になれば幼稚園」という、いわゆる「学校の幼稚園」に行く慣習が失われ、5歳児になっても保育園に残る児童が年々増加
している点です。この傾向は第二回レポート「新宮市の特異な幼保関係について(1)」で確認しましたが、新宮市において5歳児で保育所に残る児童は今後さらに増加していくと予想します。その理由は、3年制幼稚園導入の答申を行った幼保一元化検討委員会は、幼稚園が小学校に隣接し「学校の幼稚園」という特異な存在になっていることを問題と捉え、幼稚園を学校の敷地から出す方法での3年制幼稚園(丹鶴幼稚園)を目指したためです。丹鶴幼稚園は「学校の幼稚園」ではありません。設立後数年は、「学校の幼稚園」というイメージは残るかもしれませんが、次第にそれは薄れていくはずです。幼保一元化検討委員会もそれを意図していました。しかし、これまで新宮市の保護者は「学校の幼稚園」に魅力を感じていたからこそ、無理にでも子どもを幼稚園に通わせていたのです。それが、「学校の幼稚園」ではなく、通常の幼稚園になれば、保育園と幼稚園の選択の基準は純粋に働いているか、そうでないかになります。そうなれば、まさに全国的に生じているように「保育園が不足する一方で、幼稚園が余る(定員を大きく割る)」状況がより顕著に生じてくるのではないでしょうか。白浜町ではそれが起きたために、その対策として幼保一元化に舵を切ったのです。
 話を白浜町に戻します。白浜町では幼稚園児童は激減しましたが、ニーズが無くなったわけではありませんでした。幼稚園を閉園してしまえば、一日の保育は不要だけれど、短時間だけ子どもを通わせたいというニーズに応えることができなくなってしまいます。また、当時の白浜町には、保育が親に対する「サービス」だけとなってはならない、親の子育ての手助けをする意味での幼稚園機能は継続するべきとの考えがあったようです。しかし、児童の減少により、現状では幼稚園の運営に支障が生じている。そんな状況が白浜町にはありました。幼稚園は守りたいけど、現状の運営には問題がある、この苦悩が幼保一元化に発展していくのです。「幼保一元化あるいは、幼稚園廃園か」という危機感があったと捉えることもできます。

[1] 和歌山県情報館「和歌山県の特区一覧表」 http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020100/tokku/pdf/tokku/youji.pdf


2.幼保一元化の歩み

 白浜町長の諮問機関として設置された幼児教育研究委員会が2年間の協議を重ねた結果、昭和63年に次のような考えを柱とする答申を出しています。
 この提言により、白浜町における幼保一元化が進み始めます。まず、平成7年度に幼保についての行政窓口を一本化し、幼児対策室を設置。ここでは、町内の保育園、幼稚園の事務を一括して担当します。室員は首長部局と教育委員会の双方の兼務辞令となっていました。同年、園長会も統合されています。平成8年は、幼保の枠を超えた職員配置(保育士が幼稚園教諭に、幼稚園長が保育園長に等)を開始しました。平成9年には、道を隔てた白浜第一幼稚園と白浜保育園を「白浜幼児園」として一体的な運営を開始します。これは、児童数が減少する中、幼保別々に運営していては確保できない集団規模を交流保育を通して確保しようという発想です。特に幼稚園児童の集団生活、異年齢交流の機会の拡充によって、一人一人の子どもが発達段階に応じた体験が得られるよう配慮したものになっています。
平成13年には現在の合築施設が完成。保育所児(長時間部)と幼稚園児(短時間部)を一つのクラスとして編成した合同保育を行うことにより、親の就労状況が変わっても子どもの環境(クラス、友達関係、担任)が変わることなく保育時間の変更が可能となりました。幼児にとって負担の少ない対応が可能となり、情緒面での安定に大きな意義があるとのことです[2]。このような取組みが冒頭で述べた構造改革特区として認められ、全国的に認知されるようになりました。なお、平成24年には富田地域(農村地域)にある富田幼稚園が同地域のしらとり保育園と統合し、とんだ幼児園となりました。これにより白浜町の幼稚園はすべて、幼保が統合された施設での運営となっています。
少しわかりにくいのですが、白浜町では認定こども園という枠組みではなく、あくまで幼保を統合した施設という形態で運営されています。ですから、看板は「幼児園」という統合名称ですが、制度上は幼稚園と保育園はそれぞれ存在しており、同じ施設(同じ部屋)で運営がされているという理解です。認定こども園に移行しないのですか、と尋ねたところ、特に現状では必要性を感じていないとのことでした。確かに、白浜町にしてみれば幼児園を先に作り、後から認定こども園ができたわけで、名より実をとっているということでしょう。

[2]和歌山県情報館「和歌山県の特区一覧表」、同上


3.幼保一元化の困難

 幼稚園が生き残るには、幼保の統合しかなかったわけですが、反対する人を説得するのには相当の苦労があったようです。やはり、人事に関すること、それから保育時間、乳児対応、夏休みなどの違いから、なかなか理解が得られない。職員同士でも夜中まで侃々諤々の議論がなされたとのことです。そのような困難を突破できたのは、当時の助役のリーダーシップも大きかったと言います。まずは、行政の窓口一本化が重要だと考え、助役直属の幼児対策室を設置した。白浜町の取り組みを紹介した著書にも「『幼児対策室』を設置し行政の一元化を図ったことで、保育現場に強力な指導性を発揮できたと考えられる。答申後7年間は具体化しなかった一元化が、対策室の設置で急速に進んだのである。」と記述されています[3]。その後、幼稚園と保育園の人事交流や研修組織の統合など努力を重ねながら、徐々に幼保の違いを埋めて施設統合に辿りついたのです。

4.幼保一元化の効果(白浜町行政視察資料より抜粋)

 幼保一元化前の課題として、保育時間の異なる子ども(短時間・長時間)が同じ施設で生活することで、子どもへの悪影響が懸念されていたようですが、実際に統合されてみると、そのことを子どもはほとんど気に掛けておらず、当初はなぜそんなことを問題にしていたのだろう、という感覚だそうです。確かに、考えてみれば現在の保育園でさえ、延長保育が実施され、早く帰る子と遅く帰る子がいるのです。その他、生じている課題としては、国の幼保一元化の制度が追い付いていない部分があり、特に会計等を保育園部、幼稚園部で別々に計上しなければならないという煩雑さがあるようです。これら制度上統一できていない部分は、幼保一元化を進めている子ども子育て会議の検討結果の中で解消されていくと思われます。

[3]森田明美(2000)『幼稚園が変わる 保育所が変わる』明石書店、76頁。

5.おわりに

白浜町でお話を聞いて、白浜町は幼保一元化で注目されていますが、その取り組みはほんの一部分であり、全体として子育てに対する意識が高いと感じました。例えば、保健センターとの連携により発行する健康面での情報誌「保健だより」を携えて、130軒の未就園児の家庭を訪問し様子を伺いながら、子育ての相談等を受ける「地域訪問」等の事業を実施するなど、潜在的なニーズに応えようとの取組みもあります。自治体は、他地域の良い取組みを互いに取り入れながら、積極的に住民に選ばれる環境づくりに努めるべきだと感じました。


2013年9月2日月曜日

新宮子育園(幼保一体型施設)の実現に向けて

加藤俊介 

 前回は新宮市で始まった3年制幼稚園の問題を確認した上で、新宮子育園という幼保を区別しない施設の導入を提案しました。3年制幼稚園の開始については、「なぜ、今あえて3年制幼稚園か」理由が明確でないと指摘しましたが、今回はまず3年制幼稚園採用に至った経緯を市の「幼保一元化検討委員会[1]」の議論から確認したいと思います。そして、その後新宮子育園をどのようにして実現するのかを、市の現状を踏まえながら検討します。

1.幼保一元化検討委員会で行われた議論

 幼保一元化検討委員会(以下、検討委員会)は平成18年9月3日から平成19年2月25日まで計8回開催され、そこでの議論を基に、3年制幼稚園のきっかけとなる答申が市教育委員会へ提出(平成19年4月24日)されています。答申及び検討委員会の記録は市のHPに掲載されているので誰でも見ることができます[2]

<幼保関係に係る答申事項(抜粋)>
導入の理由が不明瞭であることを指摘した(1)の3年制幼稚園については、「現在、少子化の進展等によって、子ども同士のコミュニケーションや関係性が希薄になり、様々な問題が生じている。こうしたことから、幼稚園でも3~5歳児の異年齢保育の大切さが議論された。」と説明されています。また、上記の答申の直前には「これまでの歴史的経緯や現状の少子化等を勘案し、また、保護者の就業条件により『保育に欠ける・欠けない[3]』の区分を明確にし、3歳から5歳の異年齢の幼児教育の実施等、公私立を挙げて新宮市の教育と保育環境を整備すべく協議した結果」であると述べられています。
検討委員会では、新宮市のように5歳児のみの幼稚園は、全国で900園(全体の6.5%)であると指摘した上で、全国「標準」の3年幼稚園の制度に近づけようという方向で議論が進んでいます。しかし、全国的には幼保一元化の流れがあることは前回も述べたとおりで、これまで「標準」だったものがこれからも「標準」である可能性は低くなってきています。幼稚園と保育園を明確に区分すること、「保育に欠ける・欠けない」を明確にすることの意義について再考する必要があるのではないでしょうか。
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[1] 「幼保一元化検討委員会」とは、新宮市立小学校、中学校及び幼稚園の適正規模と配置等について審議する、新宮市教育環境整備計画審議会の小委員会であり、幼保一元化の可能性や3年制幼稚園の導入などについて議論が行われている。
[2] 「新宮市教育環境整備計画審議会」(http://www.city.shingu.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=18949 なお、第8回幼保一元化検討委員会(平成19年2月25日)の記録は未掲載。
[3] 単純化すると、保育に欠ける=親が働いている、保育に欠けない=親が働いていない。保育に欠ける場合は保育園を利用できるという考え。


現在、国が先行して「子ども・子育て会議[4]」というものを開催し、平成27年度からの新たな子育て支援制度の検討を重ねています。その中では、これまで別々の給付を行っていた認定こども園・保育園・幼稚園の給付を共通化し、財政面での一本化を図ろうとしていますし、「保育に欠ける・欠けない」という言葉も今後は使用しないようです。また幼保が一つとなる認定こども園の役割が強調される傾向があり、全国的な政策との整合を考えても方向は幼保の一元化であると言えます。
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[4] 内閣府「子ども・子育て会議」(http://www8.cao.go.jp/shoushi/shinseido/kodomo_kosodate/)


新宮市の検討委員会に出席した委員の中には、3年制の幼稚園の導入について、「幼稚園側でどんな問題があり、解決できないのか。問題がなければ、今のままでよいのではないか。」や「理想的な教育、子どもにとって一番良い方法を考え、その後、制度に合わせていけばよいのではないか。」という意見もありましたが、検討委員会の記録を見る限りでは3年制幼稚園を実施することが前提にあり、導入を巡る「議論」は行われていないように見えます。検討委員会の記述を通して見ると3年制幼稚園導入に関する有効な理由は「継続的な保育・教育」にあるようです。つまり、1年制の幼稚園では子どもの成長に合わせた対応が十分にできないから、3年間の時間を掛けて子どもをみようということです。確かに1年制幼稚園を単独でみればこの考えは理解できますが、新宮特有の「学校の幼稚園」という視点では7年制小学校という捉え方もありますし、新宮子育園の提案のように、既存の保育園をベースとした継続的な保育・教育という別の選択肢が議論されても良かったのではないかと思います。というのは、答申の中には(4)の私立保育園も5歳児の保育を検討する、というものがありますし、別の部分では「幼稚園・保育園で同質の教育、保育を受けられる就学前環境を目指す」ということが謳われており、これらを合わせれば保育園をベースにした幼保一元化の選択肢が出てくると思うからです。 
 ここまでで主張したいことは、3年制幼稚園導入そのものの理由もそうですが、検討委員会の過程で様々な選択肢が検討されて結論に達したかどうかということです。本レポートの作成に当たり、多くの方の意見を伺いましたが、そこで気づかされたことは我々行政職員が思う以上に保護者の方をはじめとする当事者の方は深い意見を持っているということです。インタビューをはじめた当初は、新宮の幼保関係は私が理解していた関係とあまりに異なっていたため、特殊な幼保関係が成り立つ理由が分かりませんでしたが、そこには制度だけでなく、その利用に深く関わる利用者の気持ちやイメージがありました。特に「学校の幼稚園」に対する気持ちは強く、インタビューでも「学校の幼稚園」という制度は残して欲しかったという意見がありました。60年間学校の幼稚園が続いてきたのにはそれなりの理由があるのです。答申の(2)の事項には、保護者の就学前教育としての意識を変えるため、幼稚園を学校敷地から切り離すとあり、また検討委員会の中では「今までは小学校の敷地内にあるので、幼稚園に入りたいとうのが新宮の考えだったが、2~3年の保育の幼稚園を選択できる力を養っていかなければいけない。」との意見がありますが、インタビューをした保護者の方は例外なく、子どものことを第一に考えた「最善」の選択を悩みながらしていると言えます。
 関連して現在、オープンガバメント[5]という考えが広がりつつあります。オープンガバメントとは「透明性(transparency)」「国民参加(participation)」「官民連携(collaboration)」という言葉をキーワードとして、簡単に言えば社会や地域の問題を政府だけではなく、情報を公開した上で、広く国民と協力して解決しようという考えです。地域の問題は役所だけで解決する必要はありません。地域の問題は地域で解決すれば良いので、広く住民から意見や知恵を募ればいいと思います。保護者の方は子どものことを本当に考えているということをインタビューで教えられました。心底子どものことを考えている人からの意見は大変貴重です。その意味で、「深く考えている人が常にいる」子育て分野は、とりわけオープンガバメントに向いており、問題に関する情報を分かりやすく公開した上で、住民参加の機会を与えるべきだと考えます[6]。インタビューの中で、「役所はいつも決まったことだけを住民に伝えて、事前に相談をしてくれない」という意見を聞いたときは、私も常にこのことを覚えておかなければならないと思いました。
 次項では、前回提案をした新宮子育園制度の実現について記述します。この仕組みは新宮市では実行可能だと考えますが、これも複数ある選択肢の一つとして、最終的には住民の方を交えた議論の中からより良いものが選択されればいいと思います。新宮市では1027日に市長選挙が行われますし、先ほど触れた平成27年度からの新たな子育て支援制度に向けて、新宮市でも「子ども・子育て会議」が開催され検討が重ねられます。子育ては重要な争点の一つです。とりわけ幼保関係の独自性が高く、待機児童の問題が生じていない新宮市では全国標準ではなく、市民のことを考えた制度づくりが求められます[7]。新宮子育園の提案が、新宮市の幼保関係の議論のきっかけとなれば幸いです。
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[5] Microsoft社の説明が分かりやすいので、参考にURLを紹介します。
[6] 米国コラムニストのジェームズ・スロウィッキー氏が著書「『みんなの意見』は意外と正しい」で論じているように、一般の人々の知識や判断による「集合知」は、少数のエリートの判断より正しい結果を導き出す可能性が高いことは実証されている。(既掲Microsoft webサイトより引用)
[7] NHK解説委員室:子ども・子育て会議の解説(http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/166132.html



2.新宮子育園の導入方法について

 新宮子育園実施のポイントは、受け皿となる保育園の施設整備、既存幼稚園施設の活用、待機児童への配慮です。

 (1) 保育園の新宮子育園移行に伴う施設整備
新宮子育園は実質的には現在ある保育園を主体として、これまで5歳になると幼稚園に転園していた児童を引き続き受け入れ、幼保の区別をなくすものです。ですから、増えた児童を受け入れるだけの施設的な余裕が既存保育園にあるかどうかが問題となります。現状で受け入れが可能な施設もありますが、スペースが足りない保育園については拡張をしなくてはなりません。新制度のために施設を建て替えるのかという話ですが、制度のために施設の建て替えをするわけではなく、施設の建て替えに合わせて多少の拡張をすればいいという考えです。というのは、新宮市内にある10の保育園はたづはら保育園を除いて、昭和56年の建築基準法改正前、つまり耐震基準が強化される前に建てられており、耐震性が万全とは言えず、建築年数だけをみても建て替えをする時期に来ています。最も新しいたづはら保育園が建て替えを計画していますから、他の保育園も順次建て替えを行っていい時期に来ています。さらに、本年11月に耐震改修を強調する改正耐震改修促進法が施行[8]されという流れを考慮すれば、保育園の耐震化も一層求められるのは言うまでもなく、そう遠くない将来にすべての保育園が建て替えをされるはずです。
保育園の建て替えについては、その公益性から多くの補助金が支給されますが、私立保育園の持ち出しも負担となることがネックです。新宮子育園の考えは保育園にとっては入所児童が増えるものですから、経営上プラスとなりますが、施設の建て替えには市のバックアップがやはり必要だと思います。
 そこで提案です。東日本大震災であれだけの被害を受けた今、子どもの安全を守るために耐震性を強化に寄与する建て替えは市としてもサポートする大義があります。また、新宮子育園が実行されれば、全国に対して新宮市が子育てに力を入れていることをPRでき、取組みとしても注目を浴びることが期待され行政の視点でも様々なプラス効果がもたらされると予測されます。ですから、私立保育園に対しては新宮子育園制度への協力要請する代わりに、通常の補助金に上乗せした補助金を施設整備のために支給できると考えます。それをインセンティブとして順次施設の拡張と子どもの継続的な受け入れを行うのです。
 補助金に上乗せする財源の捻出ですが、子どもの安全という観点から他の予算に対して優先的に配分されるということもあっていいと思いますが、より具体的な財源確保の方法を示します。それは、公立の大浜保育園と熊野地保育園を統合し、新たな保育園を蓬莱小学校の跡地に建設する計画をやめることです。新たな公立保育園の建設には2億円程度の費用が掛かるとされています。新園舎を建てないことで2億円の財源が捻出されるので、それを私立保育園の建て替え補助金として配分するのです。新宮子育園制度では公立幼稚園は順次閉園されます。一番の問題は3年制幼稚園の開始に伴って建設された丹鶴幼稚園です。施設も新しく、また検討委員会を経て建設された幼稚園ですから、対案なしに閉園することはありえないでしょう。ですから、公立の大浜保育園と熊野地保育園は統合して、丹鶴幼稚園の施設を利用し、新たに新宮子育園を開園するのです。また、蓬莱小学校の跡地はマリア保育園とたづはら保育園から徒歩数分の距離にあり、民間保育園の経営という観点からも公立保育園を建てる場所として適切ではありません。

 (2) 既存幼稚園の活用と待機児童の防止
 既存の王子幼稚園と三輪崎保育園は適時、閉園することになります。三輪崎保育園については、三輪崎地区は生活圏が異なるので1年制幼稚園として残すという方法もあるかもしれませんが、それは住民の意見を尊重して決定すればいいと思います。王子幼稚園は、他の保育園が新宮子育園に移行する過程で必然的に児童が減少するので、存続は難しいと思います。もし、存続できるとすれば新宮子育園の5歳児のイメージづけが不十分ということですので、新宮子育園の5歳児クラスが「学校の幼稚園」のイメージを上回るよう一層の努力が必要です。ただ、王子幼稚園の存在はとても重要です。ある日を境に既存の保育園が一斉に新宮子育園に移行することは、施設整備の必要性から考えても不可能なため、子育園制度が市街全体で実施されるまでは王子幼稚園が大切な受け皿となります。同時に、王子幼稚園の定員及び統合保育園の丹鶴幼稚園への移動時期を調整することで待機児童を生じさせないように注意する必要があります。
 
 以上は、新宮子育園導入に関する一つの案です。中盤でも示したとおり、新宮市は1027日には市長選を控え、また平成27年度から開始される新たな子育て制度の導入に向けて子ども・子育て会議を設置するなど、まさに今後の新宮市の子育て環境を左右する重要な局面を迎えています。新宮市のこれまでの子育て環境は、全国「標準」とは異なっています。異なっているものに全国「標準」の制度をそのまま組み込んでもうまくいくとは思えません。新宮市のこれまでの良い部分を活かしながら、より良い子育て環境を考えていくことが必要です。その作業は国や県ではできません。新宮の子ども・子育て会議を中心として、新宮市民のみなさんが様々な選択肢を検討しながら作っていくものだと思います。
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[8] 国土交通省「建築物の耐震改修の促進に関する法律の一部を改正する法律案について」(http://www.mlit.go.jp/report/press/house05_hh_000388.html

2013年8月22日木曜日

新宮市の特異な幼保関係について(2)


加藤俊介


 前回は新宮市の幼保関係を整理しました。その中で、通常は横の関係にある幼稚園と保育園が新宮市おいては縦の関係である種融合していること、つまり保育園に行った後、小学校に入学する前に1年制の幼稚園に行くことが一般的な選択肢であることを確認しました。ここでのキーワードは「学校の幼稚園」です。1年制の幼稚園は小学校に隣接しており、そこで小学校に入る前の準備を行うのです。5歳児になったら、小学校にスムーズに入学するために「学校の幼稚園」に行くという感覚が住民の間に浸透していることが、インタビューを通して強く伝わってきました。前回も触れたように、保護者の方の中には子どもを「学校の幼稚園」に通わせるために、仕事を短縮したり、あるいは辞めたりする方がいます。このことは、新宮市において「学校の幼稚園」に行かせることが如何に重要なことであると考えられているかを示しています。
 本レポート作成に当たっては幼稚園に通った方、また継続して保育園に通った方、双方・複数人のお話を伺いました。その印象としては、「小学校に行く前には幼稚園に行くのが普通」という感覚が新宮市の保護者の間で広く共有されており、特に何世代かに渡って新宮市で暮らしている人の間では5歳児で保育園に残ること、つまり「学校の幼稚園」に行かないことはイレギュラーであると受け止められているようです。私はそろって「学校の幼稚園」に行くというこの選択はイメージによる影響が強いと感じました。それは掴みどころのないイメージよるものではなく、小学校の前に幼稚園に行くことで一定の「効果」が得られているとも考えます。例えば、インタビューでも直接お話しがありましたが、幼稚園に行くことで、子どもが小学校に入った時点で、先生の話をしっかりと座って聞くことができたり、時間を守って行動することができるようになったりするようです。もちろん、個人差はあるでしょうが、全体的には保育園に残る場合よりも、幼稚園に行く場合の方が、このような行動が出来るようになる傾向があるようです。しかし、先に言ったようにこれはイメージによるところが強いと私は考えています。というのは、確かに小学校の初期の段階では幼稚園に行った子の方が、しっかり座って話を聞くといった行動が得意になることはあり得ると思いますが、それはそのような訓練を幼稚園で先んじて行ったからできることにすぎず、小学校に入って同様の教育を受けていく中でその差は無くなって行くはずです。また反対に保育園に残ったからこそ得られたものもあるのではないかと思います。 
 新宮市の幼稚園にはついこの前まで校区が設定されており、幼稚園に行った子がそろって同じ小学校に入園するということも、友達づくりの観点から幼稚園に行くことを推進した要因です。しかし、これも長期的に考えてみれば大きな違いを生みませんし、仲のいい友達と一緒の時間を過ごすことも大切である一方、新しい友人を作る機会を得ることもまた大切です。私の経験からも同じ幼稚園に通っていた子だから小学校でも仲良くしていたという記憶はありませんから、これも小学校へ入学した初期において影響するものにすぎないと考えます。
 新宮市の幼保関係は非常に特異なものですが、私はこの仕組みを肯定的にとらえています。しかし、近年、長年続いて来た新宮市の特異な幼保関係が変わりつつあります。そしてその変化には問題も含まれていると考えるため、次項でその問題点を指摘した後、対する改善策を提言します。その際、これまで確認したような新宮市民の間で共有されている幼保関係に対する「イメージ」が重要なポイントとなります。

 

1.3年制幼稚園の導入

 平成24年に3年制の丹鶴幼稚園が開園したことにより、新宮市の幼保関係に大きな変化が生じています。同時期に幼稚園の校区制度及び学童保育の利用が中止されたこともまた大きな変化です。これらにより、新宮市においては、前回確認した幼保の縦の関係及び全国標準の横の関係が併存することになりました。


 一つ目の問題点は、全国的に幼保一元化が叫ばれる中、なぜ今あえて3年制の幼稚園を導入し幼保を区別する必要があるのかが不透明であることです。確認できた理由としては、学識経験者が出席した「新宮市教育環境整備計画審議会」より3年保育を実施する幼稚園が必要と答申されていることや、利用者が「保育に欠ける」状況かどうかを明確にするということがあります。しかし、これは1年制幼稚園が定着し、一体的な幼保関係を築くことに成功している新宮市において「なぜ、今あえて3年制幼稚園か」という問いかけに対して正面から回答するものではありません。もっと言えば3年制幼稚園の導入は行政という供給者の視点では説明が行われているように見えますが、利用者という消費者の視点では説明が不十分です。保護者の間では3年制幼稚園の有用性があまり理解されていないようでした。
 二つ目の問題は、3年制幼稚園の導入における手続きが緻密に行われなかったことです。保護者、特に来年度から幼稚園を利用したいと考えている保育園在籍者、に対する新幼稚園(以下、丹鶴幼稚園)に関する説明が十分に実施されていませんでした。このことは、新宮市HP行政情報に掲載されている「新幼稚園就園希望保護者からの質問と回答[1]」から確認できます。役所は事前に新幼稚園に関する説明を行っていたのかもしれませんが、それが保護者には浸透していなかったようです。3年制幼稚園の導入をめぐって教育委員会と保護者の間で行き違いが生じた最大の理由は、当初の丹鶴幼稚園の5歳児定員が50人と少なかったことです。新宮市では幼稚園に行くことに対して強い「イメージ」があることは確認しました。これまでは、誰でも希望すれば「学校の幼稚園」に行くことができる環境がありましたが、3年制を採用する丹鶴幼稚園では3,4歳児を受け入れる影響から5歳児の定員が縮小され、さらに校区も撤廃されたことも相まって、入園希望者に対して5歳児の定員が少ない状況が予測されました。幼稚園の定員が十分でないことは、一部の児童が5歳児になっても幼稚園に行けないことを意味し、実質的に「学校の幼稚園」に期待する教育が受けられないということですから、新宮の幼保関係のイメージを強く持つ保護者にとっては重要な問題となります。結果的には、保護者からの訴えもあり丹鶴幼稚園の定員が拡大され5歳児の入園希望者は全員受け入れが可能となりましたが、教育委員会は当初から新宮市の特異な幼保関係に注意を払い、保護者の意見を聞きながら定員設定を行うべきだったと考えます。というのは、定員の問題は最終的に解消されましたが、定員を拡張したことにより一人当たりの児童が利用できるスペースが縮小されるという弊害を残してしまっているからです。この問題の背景には、行政側で幼稚園担当課と保育園担当課が分かれているために、幼保環境に関するコミュニケーションが双方で十分に行われていなかったことがあると考えます。

[1] 「新幼稚園就園希望保護者からの質問と回答 」新宮市HP (平成25819日アクセス)



2.新宮市幼保問題に対する改善策の提示

 以降では、これまでの内容を踏まえて幼保問題に対する改善策を提言します。







  (1) (仮称)新宮子育園の創設
 確認した問題及びこれまでの新宮市の幼保関係を踏まえて、新たな保育制度、(仮称)新宮子育園<こいくえん>の設立を提案します。これは、幼保一元化の流れを汲むもので、3年制幼稚園導入以前の幼稚園と保育園が縦の関係にある新宮の特色を活かしたものです。端的に言えば、住民の視点に立ち幼稚園、保育園という区別を撤廃し、新たな施設を新宮子育園としてスタートさせるものです。実施形式としては、市内の幼稚園を廃止しすべての子どもが5歳児になっても継続して保育園に通い、その後小学校に進学するものですが、重要な点は新しい施設では幼稚園や保育園という従来の「イメージ」を越えて、「新たな子どものための施設」というイメージを形成することです。ですから、特に5歳児相当の年次では「学校の幼稚園」以上の価値の提供に努めなければなりません。 


 この新宮子育園という幼保一体化の仕組みは、これまで特異な幼保関係が成立してきた新宮だからこそ成立し得るものです。全国的に幼保一元化に取り組もうという流れはありますが、幼稚園と保育園が明確に独立・分離してきた背景から、幼保が一元化した形態に移行したくてもできないでいます。さらに新宮市では、幼保の棲み分けが行われていたことに加えて、幼稚園(丹鶴、王子、三輪崎)がすべて公立という特徴があります。これは幼保の区別のない子育園の成立を目指す上で非常に有利に働きます。なぜなら、幼保一元化を目指す際には、幼稚園か保育園のどちらかをベースにして統合する、すなわちいずれかを実質廃止する(または新規施設を設立する)必要があり、市内全体で幼保を統一するには既存組織(私立)が大きな障害となるからです。新宮市にある幼稚園はすべて公立です。ですから、幼保を統一するハードルは他地域と比べて格段に低いと考えられます。
 
 (2) なぜ新宮子育園が必要か?
 同じ子どもを幼稚園と保育園で区別するのは供給者側、すなわち行政側の都合に過ぎません。そうなった沿革的な理由はあるにせよ、消費者側の視点からそれを保持する前向きな理由はもはやありません。全国的に幼保を統一する流れにありながら、実施したくてもそれができないでいる背景については先ほども触れました。一方、新宮市には幼保を統一できる環境が整っています。もし、新宮市がこの環境を活用し、全国に先駆けて一部分ではなく市全体で幼保を統一することに成功すれば、それは住民だけでなく他地域に対しても「如何に新宮が子育てに力を入れているか」をアピールすることになります。全国でやりたくてもできないことを新宮が高いレベルで実施するというのは、地方分権の画期的な事例となるのではないでしょうか。

 (3) 新宮子育園の実現に向けて
新宮子育園は利用者の視点に立って、実現されなければなりません。新宮子育園が成功するためには、子どもは幼稚園と保育園という区別なく、継続的な保育・教育を「学校の幼稚園」以上の価値で受けることができるという前向きな「イメージ」を形成することが重要です。
新宮市では元々幼稚園と保育園が縦の関係で融合していることは繰り返し述べています。ですから、利用者の視点に立った子育て環境を整えるために、まずは幼稚園と保育園を区別している行政側が変わる必要があります。それは学校教育課と子育て推進課の統合です。他の自治体では幼保一元化を見据えて教育委員会と市長部局を超えた幼保担当課の統合(新宮市における学校教育課と子育て推進課の統合)が進んでいます。新宮市も早急に幼保担当課を統合し、全体的視野を持って、市民のための子育て環境の向上に努めるべきだと考えます。

2013年7月20日土曜日

新宮市の特異な幼保関係について(1)

加藤俊介 


 新宮市の幼稚園と保育園の関係は全国でも非常に特殊なものであることが、現地調査及びインタビューの結果から分かりました。恐らく新宮市にお住まいの方にとっては、ごくごく当たり前のものかもしれませんが、他地域でもあまり例のない仕組みですのでここに整理したいと思います。

<グラフ1>

                           (新宮市の福祉から作成)

 上のグラフは市が発行している冊子「新宮市の福祉」のデータから作成したもので、平成元年から平成24年までの保育園における幼児数の推移を表しています。非常に特徴的なのは赤色で示された5歳児の数です。普通に考えれば、3歳児であった子が翌年4歳児となり翌々年は5歳児となるわけですから、途中入園あるいは退園により多少の違いはでるとしても、5歳児はほぼ3、4歳と同じ数になるはずです。しかし、新宮市の場合はそうはなっておらず、4歳児と比べて5歳児の数が激減しています。またその傾向は年を遡るほど顕著に表れています。
1. 4歳児から5歳児になる時期に児童が激減するのはなぜか?
 4歳児から5歳児になるタイミングで保育園の児童数が減少しているのは、新宮市では5歳児になるときに保育園から幼稚園に移る傾向が強いためです。

<表1>
4歳児(前年)
5歳児
保育園を辞めた子
その割合
平成元年
359
23
336
94%
平成6年*
301
35
266
88%
平成10
246
20
226
91%
平成15
259
58
201
78%
平成20
238
66
172
72%
平成22
213
105
108
51%
平成24
233
114
119
51%
*平成4年の4歳児のデータがないため、基準を平成6年とした
(新宮市の福祉から作成)

 上の表は同じく「新宮市の福祉」から作成したものです。保育園への途中入園者を考慮していないので、完全に正確な数値とは言えませんが、ここからどれだけの児童が5歳児になるときに幼稚園に移っているのか、その傾向は掴むことができます。平成元年にはおよそ94%の平成24年にはおよそ51%の児童が保育園から幼稚園に移っています。逆に保育園に残る5歳児は平成元年がおよそ6%、平成24年がおよそ49%です。平成元年から平成24年にかけて保育園を辞める児童は減少傾向にありますが、51%という割合は依然として大きものです。一般的には5歳児になるタイミングで保育園を辞める子どもはごくごく僅かです。保育園を辞める理由には転園、転出も考えられますがそれは限定的でしょうし、5歳児になる時に保育園を辞めて家庭保育をするとは考えにくいため幼稚園に移ったと考えるのが自然かと思います。このことは以降、新宮市の保育園と幼稚園の関係を説明する中でより明らかとなります。


2. 4歳児から5歳児になる時期になぜ保育園を辞めるのか?
 新宮市には5歳児になったら小学校の準備をするために幼稚園に行くという慣習とそれを促す仕組みがあることがその理由です。

(1) 5歳児(1年制)幼稚園
(2) 学校の幼稚園という意識
(3) 幼稚園に行く慣習

新宮市には平成24年度に丹鶴幼稚園(3年制)が開園するまでは、5歳児の1年制幼稚園しかありませんでした。3,4歳児を受け入れることができる幼稚園がなかったのです。過去にはテレジア幼稚園という私立幼稚園が3,4,5歳の3年制保育を実施していましたが、そのテレジア幼稚園が閉園して以降、丹鶴幼稚園が開園するまでは長らく5歳児を受け入れる1年制の幼稚園しかない状態が続いていました。
また、その1年制の幼稚園の位置づけは学校の幼稚園というものであり、少なくとも保護者の間ではそのような感覚が共有されていました。背景には、市内にある幼稚園は附属幼稚園ではないものの、小学校に隣接して建てられており、名前も小学校と同じ地域名が付けられていたことがあります。さらに、現在は廃止されていますが、近年まで幼稚園には校区が定められており、小学校のようにどこどこの地区に住んでいる子は○○幼稚園に行くという決まりがありました。つまり、幼稚園に入園した児童はそのまま指定された小学校に行くことになり、幼稚園は小学校に行くための準備をする場所という雰囲気が生まれやすい環境にありました。事実、保護者の間では幼稚園に行って小学校の準備をしないと出遅れてしまうという意識が強く、中には仕事を辞めて子どもを幼稚園に行かせる親もいるそうです。また、保育園に比べて幼稚園の方が保育料が安くなる場合があることもそれを助けています。
このような1年制幼稚園の仕組み、学校の幼稚園というイメージ、そして保護者の意識が5歳児になったら幼稚園に行くという流れを作っているのです。


3. なぜこのような保育園・幼稚園関係が成り立っているのか?
 
 通常の保育園・幼稚園関係ではこのような仕組みは成り立ちません。なぜなら保育園と幼稚園はその役割が明確に区別されているからです。保育園は「保育に欠ける子」が行くところ、換言すれば両親が働いていたり、病気であるなどの理由で、子どもを保育できない家庭が利用する施設で、誰もが利用できるわけではありません。しかし、新宮市ではこのような明確な区別は採用されていません。



 上の図のように、新宮市では保育園と幼稚園を横並びの関係ではなく、一体の関係として扱っています。これは現在推進されている幼保一元化の考えと通じるところがあるのではないかと思います。
 しかし、なぜこのような仕組みが成り立っているのでしょうか。

(1) 3,4歳児を受け入れる幼稚園がなかったために、保育園が幼稚園の機能を担ってきたこと
(2) 幼稚園に行った後も、学童保育などにより児童の居場所が確保されていたこと

 理由の一つは、既述したように3年制の丹鶴幼稚園が開園するまでは、3,4歳児を受け入れる施設は保育園しかなく、子どもを集団の中で成長させたいと思う保護者にとっては、労働に従事しているか否かに関わらず、保育園が唯一の選択肢となったためです。日常的に子どもを受け入れる子育て支援センターはありますが、常に一定数の子どもを受け入れる保育園や幼稚園とは異なるものでしょう。ここから、新宮市においては保育園が幼稚園の役割も兼ね備えていたと言えます。
 5歳児になると、1年制の幼稚園がありますからそこが新たな選択肢となります。この幼稚園には「小学校の前段階」というイメージも加わって、<表1>で示したように多数の児童が保育園から移って行きます。<グラフ1>や<表1>にあるように、近年は保育園に残る人も多くなってきています。しかし、平成元年などの平成の初期には大多数の児童が保育所から幼稚園に移っていたのです。幼稚園に移った児童には、一般的には保育園を利用する家庭の児童が含まれていると考えられます。全部の保育園ではありませんが、当時はそもそも保育園に5歳児クラスがなかったところもあったとのことです。
 そうなると、遅くまで両親が働く家庭では幼稚園が終わった後のお迎え等が問題となりますが、新宮市では学童保育が幼稚園児にまで開かれており、児童はそこで幼稚園終了後の時間を過ごすことができました。今日では考えにくいことですが、中には自力で家まで帰った子もいたようです。


4. 新宮市幼保関係の整理

 新宮市の幼保関係は非常に特異なものであると言えます。平成24年に3年制の丹鶴保育園が出来てからは状況が変わりつつありますが、以前は3,4歳児を受け入れる幼稚園がなかったため、市内の児童は一度保育園に入り、そして5歳児になるときに大半の児童が1年制の幼稚園に入園する。そして、1年後に揃って学区内の小学校に入学する。これが主流でした。この仕組みに関する検討と現状の幼保関係の課題は次回に譲りたいと思いますが、紀伊半島の南端でこのような特異な幼保関係が周囲の市町村の影響を受けずに維持されて来たことは非常に興味深い事例であると思います。
 新宮市に在住の方は、保育園を退園後に幼稚園に行くことも、1日のうちで幼稚園の後に学童保育に行くことも、当たり前で気にも留めないことかもしれませ。しかし、本来別々の存在である保育園と幼稚園が、ある種の役割分担と一体感を持って共存してきたことは、今日繰り返し議論されている幼保一元化の仕組みを作るヒントであるかもしれません。